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徳島地方裁判所 昭和63年(ワ)161号 判決

主文

一  被告は、原告甲野太郎に対し、金二九七万八〇九〇円及びこれに対する昭和六三年一月四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告甲野花子に対し、金二八八万八〇九〇円及びこれに対する昭和六三年一月四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告乙山春夫に対し、金九七八万〇〇七八円及びこれに対する昭和六三年一月四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告らのその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用はこれを一〇分し、その二を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

六  この判決は、第一ないし第三項につき仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1(一) 被告は、原告甲野太郎に対し、金二九二七万七五七五円及びこれに対する昭和六三年一月四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 被告は、原告甲野花子に対し、金二八四七万七五七五円及びこれに対する昭和六三年一月四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 被告は、原告乙山春夫に対し、金三三七五万二八二一円及びこれに対する昭和六三年一月四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告らの請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  事案の概要等

本件は、自動二輪車で暴走行為に参加した高校生甲野一郎が、右暴走行為中に交通取締りのパトカーに追跡され、道路脇に設置されていた道路標識に激突して死亡し、同乗の原告乙山も受傷した事件につき、甲野一郎の遺族である原告甲野両名と原告乙山とが、警察官の追跡は相当性を欠き違法であり、これがため本件事故が惹起されたとして、被告に対し、国家賠償法一条に基づき、逸失利益等の損害賠償を請求するものである。

(争いのない事実)

一 本件事故の発生

1 事故発生日時 昭和六三年一月四日午前零時五六分ころ

2 本件事故現場 高松市春日町一三〇八番地の四先県道牟礼中新線路上

3 関係車両

(一) パトカー(以下「本件パトカー」という。)

香川一(なお、香川一、二、四、五、志度一とあるのはいずれもパトカーの呼称番号である。)

運転者 香川県警察巡査長竜満秀美(以下「竜満」という。)

同乗車 香川県警察大川俊一巡査(以下「大川」という。)

本件パトカーは被告の所有であり、本件事故当時、香川県警察の職務遂行のため利用されていた。竜満らは香川県警察に所属する警察官であり、被告の公務員であるが、本件事故当時には交通取締りの職務に従事し、本件パトカーに乗務していた。

(二) 自動二輪車(以下「本件事故車」という。)

運転者 亡甲野一郎(以下「一郎」という。)

本件事故時、一七歳で高校二年生

同乗者 原告乙山春夫(以下「原告乙山」という。)

4 事故態様

本件事故車は、本件パトカーに追尾されて逃走中、右日時場所において、車道左側端に設置されていた道路標識に激突して転倒し、運転していた一郎は直接右道路標識に激突し、本件事故車からはね飛ばされ、頭蓋骨骨折、脳挫傷の重傷を負って、右日時場所において即死し、後部に同乗していた原告乙山は転倒する本件事故車からはね飛ばされ、開放性左大腿骨骨折等の重傷を負った。

二 相続関係

原告甲野太郎、同甲野花子は一郎の父母である。

(争点)

一 本件事故の発生原因

1 原告ら

本件事故は、本件事故車が、本件パトカーの追跡を受けて、時速約八〇ないし九〇キロメートルで走行中、本件パトカーが本件事故車に追いついて並進状態となった際、香川県警察の警察官である竜満らが、本件パトカーの左側の窓から棒か手を出したうえ、本件パトカーを本件事故車に対し、約三回にわたって、その車体を約三〇ないし五〇センチメートルの至近距離にすり寄らせ、本件事故車を徐々に車道端に封じこめるという、いわゆる幅寄せを行ったために発生したのである。

2 被告

原告主張の事実は否認する。竜満らは幅寄せをしていない。本件パトカーが本件事故車を追い抜く際には、本件パトカーは対向車線を走行しており、また、本件事故車は片側車線約四メートルの車線のほぼ中央部を進行していたのであって、右各車両の間には約二メートルもの間隔があった。

本件事故は一郎がハンドル操作を誤ったことによって生じた自損事故である。一郎らは、警察官らの再三の停止要求を振り切って高速度で本件事故車を走行させていたうえ、一郎は運転技術が未熟であり、また、本件事故車のハンドルは改造され、同乗者の右足を乗せるステップが欠落しているなど整備不良な状態であり(車検を受けていなかった)、しかも原告乙山は不安定な姿勢で本件事故車に乗車していたのである。

二 違法性の有無

1 原告ら

職務行為といえども、追跡の方法が不相当であるときは違法となる。竜満らは、時速八〇ないし九〇キロメートルという高速で並進している最中に、幅寄せを行ったのであり、しかも、本件道路の沿道の歩道右側には車道に接するように多数の道路標識が設置されており、また、車道と歩道との間には高さ二〇センチメートルの縁石が設置されており、こうした事情のもとで、幅寄せが行われれば、車道左端に封じこめられた本件事故車が道路標識や縁石と衝突あるいは接触・転倒し、運転手らに死亡ないしは重大な傷害を負わせるという結果を発生させることは明らかであって、このような追跡の方法は不相当であり、違法なものである。

2 被告

職務行為といえども、追跡の方法が不相当であるときは違法となることは認めるが、原告らの主張する幅寄せの事実は否認する。本件において竜満らの行為には違法はない。

本件はいわゆる暴走族が徳島県から四〇〇cc前後の自動二輪車を二人ないしは三人乗りで約一〇台、深夜爆音を高くして香川県に入り、志度町手前の天野峠で発煙筒を焚いてからは、並進あるいはジグザグ運転を繰り返して一般通行車両の通行を妨害し、信号を無視し、高松市内に進入してきたものである。このような原告らの行為は、道路交通法の速度違反、信号無視、共同危険行為であること、あるいは往来妨害罪にも該当するものであるから、本件について出動した全パトカー乗務員は刑事訴訟法二一三条による現行犯逮捕、あるいは警察法二条、六五条、警察官職務執行法二条等により原告らを検挙する職責があり、原告等暴走車両を追跡するのは当然であり、追跡自体になんらの違法はない。一郎及び原告乙山は、本件事故当時、既に高校生であり、高校生であれば、社会の最低の社会常識を持ち得る年齢であるから、暴走行為がいかに社会秩序、道路交通を妨害するものかを十分承知できていたはずであり、また、道路交通法により停止を求められたら停車すべき義務があることも当然知っていたはずである。

三 故意、過失の有無

1 原告ら

竜満らは、警察職務に従事し交通取締りに従事する者として、交通違反者の追跡においては、被追跡者が交通法規に違反する者であっても、被追跡者の安全を配慮して追跡その他取締方法を選択・実施すべき注意義務を負っていた。竜満らは、本件パトカーで本件事故車に幅寄せ等を行うことによって、本件事故車が道路の左側端付近の工作物に接触又は衝突することは極めて容易に予見でき、その結果、本件事故車の走行速度をも考慮すれば、本件事故車の乗用者らに死若しくは重大な傷害が生じることも極めて容易に予見できた。にもかかわらず、竜満らは幅寄せ等を行ったのであるから、同人らには故意又は過失がある。

2 被告

竜満らが、警察職務に従事し交通取締りに従事する者として、交通違反者の追跡においては、被追跡者が安全法規に違反する者であっても、被追跡者の安全を配慮して追跡その他取締方法を選択・実施すべき注意義務を負っていたことは認めるが、その余は争う。

四 損害額

1 原告ら

(一) 原告甲野太郎らの損害

(1) 一郎の逸失利益 金三九四三万八七九七円

ア 一郎は、昭和六三年に起きた本件事故当時、一七歳の高校二年生であったが、少なくとも一年後の一八歳からは、高校卒業後六七歳まで就労が可能であった。

一郎は右就労により一八歳から六七歳までの間、収入を得ることができたが、その額については、一八歳から六七歳までの就労の間の年令・地位等による昇給を考慮すれば、その間の平均収入年額は、昭和六三年度賃金センサス産業計・企業規模計・高校卒の男子労働者の全年令の平均収入年額を下らない。ところで、昭和六三年度の賃金センサスの産業計・企業規模計・高校卒の男子労働者の全年齢の平均賃金額は金四三四万一四〇〇円である。

イ 一郎の生活費として費やされるものは、多くともその収入の五〇パーセントである。

ウ 中間利息としては、ライプニッツ係数をとると四九年間の係数は一八・一六八七である。

エ よって、一郎の逸失利益は金三九四三万八七九七円である。

434万1400円×0・5×18・1687=3943万8797円

(2) 一郎の慰謝料 金一七〇〇万円

(3) 葬祭費 金八〇万円

原告甲野太郎は一郎の葬祭費として少なくとも八〇万円を支出した。

(4) 弁護士費用 各金二〇〇万円

原告甲野太郎及び同甲野花子は、本件訴訟を弁護士に委任し、その費用として各二〇〇万円ずつ支払う旨約した。

(5) よって、原告甲野太郎は金三一〇一万九三九九円、同甲野花子は金三〇二一万九三九九円の各支払いを求める。

(二) 原告乙山の損害

(1) 原告乙山は、本件事故により開放性左大腿骨骨折、顔面打撲擦過傷、両手・両足擦過傷を負い、次のとおりの治療を行った。

ア 昭和六三年一月四日から同月一二日

百石病院 入院

イ 同月一三日から同年三月二六日

徳島大学医学部付属病院(以下「徳大病院」という。) 入院

ウ 同年三月二九日から同年六月ころ

徳大病院 通院

(2) 原告乙山は右傷害により以下の損害を負っている。

ア 治療費 金三七万七四六〇円

内訳 百石病院分 金一二万四五三〇円

徳大病院分 金五〇万二九三〇円

合計 金六二万七四六〇円

ただし、うち金二五万円は徳島市から高額医療補償により填補された。

イ 転医交通費 金二万五〇〇〇円

原告乙山は徳島市に居住する者であり、その都合上、高松市にある百石病院から徳島市にある徳大病院に転医を要した。その際の転医費用である。

ウ 入院付添費 金四二万〇〇〇〇円

エ 入院雑費 金一三万四四〇〇円

原告乙山は、前記入院に加え、平成二年五月二日から同月二九日まで(二八日間)、金具撤去のため入院手術を受けた。よって、入院雑費は金一三万四四〇〇円である。

1200円×112日=13万4400円

オ 逸失利益 金四八三万七四一八円

原告乙山は、昭和六三年に起きた本件事故当時、高校三年生であり、本件事故がなければ、高校を卒業して、昭和六三年四月一日から大阪市内の丙川株式会社に就職することが決まっていた。よって、昭和六三年四月一日から症状固定の平成二年九月一四日までの八九六日間就労し得ず、その間、就労による収入を逸失している。

ところで、右収入日額は、少なくとも昭和六三年度賃金センサス産業計・企業規模計・高校卒の一八歳の男子労働者の平均年収額金一九七万〇六〇〇円を基準にした額を下まわらない。そうすると、逸失利益は金四八三万七四一八円である。

197万0600円÷365日×896日=483万7418円

カ 入院中の慰謝料 金二五〇万〇〇〇〇円

キ 後遺症による逸失利益 金二〇九五万八五四三円

原告乙山の後遺症は他覚所見として、左下肢の大腿と下腿の筋萎縮、左膝の屈曲・伸展における筋力低下がある。そして、左下肢の膝の運動機能が健康な右下肢に比して四分の一以下に制限されている。これは労働災害補償法上の後遺傷害等級では一〇級の一〇に該当する程度のものである。また、自覚症状として起立一〇分程度で左下肢がだるくなり、歩行時痛もあり、左下肢による起立は困難である。また、階段の昇降は手すりを要し、正座は不能である。

かかる後遺症にかんがみれば、原告乙山は本件後遺症によりその労働能力の少なくとも二七パーセントを生涯にわたって喪失したものである。

そして、昭和六三年度の賃金センサスの産業計・企業規模計・高校卒の一八歳の男子労働者の全年令平均賃金は金四三四万一四〇〇円であるから、原告乙山の本件後遺症による逸失利益は金二〇九五万八五四三円である。

434万1400円×0・27×17・88=2095万8543円

ク 後遺症による慰謝料 金四五〇万〇〇〇〇円

ケ 弁護士費用 金三〇万〇〇〇〇円

原告乙山は、本件訴訟を弁護士に委任し、その費用として金三〇万円を支払う旨約した。

(3) よって、原告乙山の被った損害は合計金三三七五万二八二一円である。

2 被告

争う。

五 過失相殺

1 被告

前記被告主張の諸事実を過失相殺に援用する。

2 原告ら

争う。

第三  証拠《略》

第四  争点に対する判断

一  本件事故の発生原因について

1 《証拠略》によれば(但し、後記認定に反する部分を除く。)、以下の事実が認められる。

(一) 原告らが本件パトカーに追跡されるまでの状況

原告乙山は、夜中に自動二輪車で集団ドライブをするため(原告乙山は自動二輪車の運転免許証を有していた。)、昭和六三年一月三日午後一〇時三〇分ころ、徳島市不動町にある「らくらく湯」で知人らが集まるのを待っていると、一〇分ほどして、一郎を含む約二〇人が一二台ほどの自動二輪車に乗って集まってきた。一郎と原告乙山とは、右当日以前には面識はなかった。

間もなく、右自動二輪車の一団(以下「本件集団」という。)は自動二輪車に分乗して鮎喰川の田宮側土手を東進し、徳島駅付近から佐古を通って蔵本の徳島大学医学部前に至り、ここを右折して不動橋、名田橋を経由したのち左折し、吉野川堤防を西進、六条大橋で右折して上板町に達した。

原告乙山は、県道鳴池線歩道橋付近で自動二輪車の運転を交替し、丁原松夫の運転する自動二輪車の後部座席に移った。本件集団は、そこから土成町まで行き、右折して同町御所方面へ走行し、徳島県と香川県の県境にある鵜の多尾トンネルの手前で一旦停車し、同日午後一一時三〇分ころ休憩をとった。ここで、原告乙山は一郎の運転する本件事故車の後部座席に移り、以後、本件事故に至るまで本件事故車に乗車していた。本件事故車は、排気量四〇〇CCくらいの自動二輪車で、車種はヤマハXJ、車体の色は黒色、運転していた一郎は眼鏡をかけ、黒マスク、黒っぽいジャンパーを着用し、ヘルメットは非着用、同乗者である原告乙山は黒マスク、黒っぽい上下服を着用、ヘルメット非着用であった。

一郎が運転し原告乙山が同乗する本件事故車は、本件集団とともに再び発進し、鵜の多尾トンネルを時速約一〇〇キロメートルで通過したが、トンネルを出た最初のカーブで、カーブを曲がりきれないということがあり、原告乙山は一郎の自動二輪車の運転を下手だと感じた。

その後、本件事故車を含む本件集団は国道一一号線に出て、同日午後一一時四〇分ころ香川県白鳥町に到着し、ここを左折して国道一一号線を高松市方面に向けて西進した。そして、香川県津田町の「巨大迷路」があったあたりで、高松方面から来た自動二輪車一台が本件集団に合流した。

本件集団は、同日午前零時三四分ころ、香川県大川郡志度町鴨部連住寺バス停付近に到達し、ここで初めて対向するパトカー(志度一)に遭遇したが、そのまま高松市方面へ進行を続け、途中、高松市内に入るルートを北側のバイパス(南側は旧国道、現在は県道牟礼中新線)に決め、高松市番町交差点方面に向け西進した。

(二) パトカー志度一による追跡状況

昭和六三年一月四日午前零時二九分ころ、香川県警察本部防犯部外勤課通信指令室に、香川県大川郡志度町鵜羽居住の年齢五〇歳前後の匿名の女性から一一〇番急訴として、「今、オートバイ一〇台くらいに、二人や三人乗りをして道路をノロノロ運転して西方に走っています。オートバイは道路いっぱいになったりして暴走運転しています。」との通報があった。この急訴を受理した通信指令室は、所轄志度署宿直員に急訴内容を通報し、措置を依頼した。志度署は、直ちに待機中のパトカーを出動させて、国道一一号線の香川県大川郡津田町鵜羽方面の検索にあたらせた。

志度一は、同日午前零時三四分ころ、国道一一号線の香川県大川郡志度町鴨部連住寺バス停付近において、西進する約一〇台の本件事故車を含む本件集団と対向した。同集団は三列で片側一車線の西進車線(幅員約四メートル)を時速約四〇キロメートルで道路いっぱいになって爆音をたてて進行し、その後方を少し離れて五、六台の一般車両が続いていた。二輪車は各車両とも排気量四〇〇CCクラスの自動二輪で、ほとんどの車両が二ないし三人乗りでヘルメットも着用していなかった。

志度一は同所において反転、赤色灯を点灯し、サイレンを吹鳴して、本件集団と一般車両の間に入り、車載のマイクで停止するよう警告を繰り返し追跡したが、本件集団は全く警告に従う様子を見せなかった。

その後、約一キロメートル西進した香川県大川郡志度町鴨部、鴨部川橋付近で、志度一が同集団の後方約二〇メートルに接近したところ、本件集団の最後尾三台が蛇行運転をしはじめるとともに、速度を時速三〇キロメートルに落とし、前方集団七台(うち一台は本件事故車である。)と分かれた。前方集団は時速約七〇キロメートルで走行し、後方集団とは徐々に離れていったため、志度一は、同日午前零時三六分ころ、香川県大川郡志度町天野峠頂上付近で前方集団を見失った。

(三) パトカー香川二等の追跡状況

香川二は、同日午前零時四一分ころ、香川県警察本部防犯部機動警察隊事務所で待機中、通信指令室から有線電話で当務係長に「志度一が暴走二輪車一〇台くらいを志度町から高松に向かって追尾中である。現在位置は、牟礼町大町付近で間もなく高松市内に入るので応援するように」との要請があったので、当務係長の指示で直ちに応援出動した。香川二は、同日午前零時四五分ころ、高松市番町一丁目一一番一〇号先番町交差点付近を通過中、志度一からの、本件集団が高松市内に入ったという内容の無線を傍受し、志度一に協力するため国道一一号線を番町交差点から東進、屋島方面に向かった。

香川二は、同日午前零時四八分ころ、高松市春日町国道一一号線新春日川大橋を東進中、西進してくる先行集団と思われる二輪車の一団を発見し、赤色灯を点灯し、サイレンを吹鳴して緊急執行に移り、新春日川大橋東詰めで反転、西方に向かって追尾を開始した。

香川二は、同日午前零時四九分ころ、高松市木太町新詰田川橋東詰め付近において本件集団の後方約五〇メートルに接近した。同集団は自動二輪車八台の集団で、時速約七〇キロメートルの速度で片側車線の道路いっぱいに広がって走行していた。香川二は、通信指令室に「暴走車両約八台、国道一一号、新詰田川橋を西進中、香川二は後方を追跡中」と無線で通話した。香川二は、再三にわたり車載のマイクで停止するよう警告したが、集団はこれを無視し、一団となって、同日午前零時四九分ころ、高松市木太町二二八二番地の一国道詰田川西信号交差点の対面信号赤色を無視して西進した。なお、国道詰田川西信号交差点を通過後の国道一一号線は、中央分離帯がなくなりペイントの中央帯となって高松市番町一丁目一一番一〇号先の番町交差点まで続いている。

本件集団は、同所から約五〇〇メートル西進した下千代橋西詰め付近において駐留警戒中の香川五と、さらに同所の西方約一〇〇メートル付近で本件パトカーと対向したがそのまま走行を続け、そこで香川五及び本件パトカーは反転して、香川二の後方に続いた。下千代橋を西進後は、高松市の市街地となり、商店・会社等が連なり、街路灯や商店・会社等の看板灯で付近はやや明るく、深夜とはいえ一般車両の通行もみられた。

本件集団の二輪車のほとんどは、車両番号票が折り曲げてあったためその車両番号は確認することができなかったが、一台は白地の車両番号票様のものにピンクのテープ様のもので×印をつけていた。本件集団は、同日午前零時五〇分ころ、高松市松島町二丁目一四番一号先松島町二丁目信号交差点の対面信号赤色を無視し、時速約四〇ないし五〇キロメートルで西進したため、北から南進、西に右折しようとした白色普通自動車(車両番号不詳)が交差点中央付近で停止を余儀なくされた。

本件集団は、同日午前零時五一分ころ、高松市築地町一六番地一七号先高松琴平電鉄築港志度線塩上踏切りを一時不停止のまま通過し、それまで第一車線を走行していた二輪車は急に第二車線に進路を変更して第二車線を走行していた白色乗用車(香五六は九六〇三号)の前方に出た。そして本件集団は、同日午前零時五一分ころ、高松市塩屋町八番地一先塩屋町警察官派出所前塩屋町信号交差点の対面信号赤色を無視し、同日午前零時五二分ころ、高松市福田町一〇番地一先高松琴平電鉄築港線福田第四踏切り一時不停止の違反をし、そのまま番町交差点方面に向けて西進を続けた。

(四) 本件パトカーが本件事故車を追跡するまでの状況

本件パトカー(車種はセドリック、呼称番号は香川一)に乗務する竜満及び大川は、同日午前零時四一分ころ、香川県警察本部防犯部機動警察隊事務室で待機中、通信指令室から有線電話で当務係長に「志度一が暴走二輪車一〇台くらいを志度町から高松市に向かって追跡中である。現在位置は、牟礼町大町付近で間もなく高松市内に入るので応援するように」との要請があったので、当務係長の指示を受け、香川二に続いて出動した。運転は竜満が行い、助手席に大川が座った。

本件パトカーは、出動後、主要地方道高松丸亀線を東進、別紙見取り図NO一記載の中新町交差点を経て、主要地方道牟礼中新町(以下「旧国道」ともいう。)を東進し、高松市多賀町三丁目一八番三四号花園警察官派出所の西方を進行中、志度一の「国道一一号、パチンコ店屋島第一会館前を通過、西進中」との無線を傍受した。そして本件パトカーは、花園警察官派出所を通過後、同派出所東側三叉路を左折、多賀橋北詰め方面に向かい、多賀橋北詰め交差点を左折北進して国道一一号線に向かった。

本件パトカーは、同日午前零時四九分ころ、高松市松島町二丁目七番スーパー「キョーエイ松島店」西側付近を北進中、香川二の「ただ今、暴走車両は、高松市清掃工場前を赤信号無視して通過、西進中」との無線を傍受した。助手席に乗務していた大川は「近い」と言って赤色灯を点灯し、サイレンを吹鳴した。本件パトカーは、以後、本件事故に至るまで、赤色灯を点灯し、サイレンを吹鳴し続けた。

本件パトカーは、スーパー「キョーエイ松島店」北側の高松市松福町二丁目一二番一三号琴電第二松島踏切り信号交差点を右折し、国道一一号線に入った。このとき、東方約一〇〇メートルの下千代橋西詰めを暴走する二輪車が前照灯を上向きにして西進してくるのを発見したが、距離が近く、高速であったため危険を感じ東進車線で通過を待った。本件集団は合計八台で、先頭の二輪車は前照灯を比較的高い位置に取り付け、これを上向きに点灯していた。本件集団の走行速度は時速八〇キロメートルで、本件パトカーの前を通過時、警音器を吹鳴したり、エンジンをバリバリと空ふかししたりして西進した。

右集団の後方を、香川二が赤色灯、サイレンを吹鳴して追尾していたため、本件パトカーは反転し、香川二に続いて、本件集団の追尾に移った。

(五) 番町交差点から中新町交差点まで

本件集団は、高松方面へ進行を続け、高松市内に入るルートを北側のバイパスに決めて、そのまま進行し、同日午前零時五二分ころ、国道三〇号線と交差した番町交差点に達し、高松市番町一丁目一一番一号先番町信号交差点の対面信号赤色を無視して南に左折した。

番町交差点からは駐留警戒中の香川四が本件集団の先頭付近後方に入り追尾に加わった。番町交差点から南は、中央にグリーンベルトのある片側三車線の通称「中央通り」と呼ばれる通りである。

本件パトカーは、香川二の後方を約五〇メートルの間隔を保ちながら、番町交差点まで西進した。その後、本件パトカーは、番町交差点を左折後、前記通称「中央通り」を南進し、番町交差点から約三〇〇メートル南進した高松市亀井町六番一号先香川相互銀行本店前付近で、先行する香川二を追い抜き、前方に出た。このとき、前方に視認できる二輪車は六台で二台は既に見当たらなかった。六台の自動二輪車は一般車両の間をジグザグに追い越し南進し栗林町公園方面に時速約六〇キロメートルで進行した。

香川二は、同日午前零時五三分ころ、高松市亀井町九番一〇号先県信ビル(香川県信用組合本店)南側三叉路で、三人乗り一台及び二人乗り二台の自動二輪車が、本件集団から分離し、田町警察官派出所方面に左折したため、この三台の追尾にうつった。本件パトカーは、南進する自動二輪車の追尾を続けた。

なお、香川四は、二台の自動二輪車が中新町信号交差点で右折西進したのを追尾し、香川五は本件パトカー及び香川二に続いて追尾していたが、やや遅れ約二〇〇メートルくらい離されていたため、通称「中央通り」を南進中、中新町交差点付近で自動二輪車の集団を見失った。

(六) 中新町交差点付近

本件パトカーは、六台の自動二輪車のうち三台が三車線ある車線のうち中央第二車線を走行していたのでこの三台を約四〇ないし五〇メートル後方から追尾した。三台の自動二輪車は時速六〇ないし七〇キロメートルで走行し、本件事故車は右二輪車の最後尾を走行していた。番町交差点付近では他の車両も走行していたが、南の方では他の車両等の通行はなかった。

本件パトカーは、高松市中新町一番地の一先中新町信号交差点手前で、本件事故車の右側に並ぶ形で進行したが、その際、原告乙山はパトカーの助手席から棒の様なものでつつかれた。これを避ける形で、本件事故車と他の自動二輪車一台は、右交差点手前約三〇メートル付近から東側歩道に上がり、他の一台はそのまま南進した。歩道に上がった二台の二輪車の車間距離は接近していた。この二台は大幅に減速徐行して地下道入口の脇を通り抜け、先行している二輪車はほとんど止まるのではないかと思われるような速度で進行し、約三〇メートル歩道上を南進し左折した。中新町交差点の南進車線の信号は点滅信号ではなく正規の信号であり、当時は赤色であった。

歩道に上がった二輪車を追跡するため、本件パトカーも中新町交差点を左折した。左折後の最初の交差点である高松市中新町二番二七号先交差点手前の志満秀中新店前の歩道上(別紙見取り図NO一記載2)で二台の二輪車は停車した。その直後に、本件パトカーは、右二輪車脇の東側前方の車道上に北東に向く形で斜めに停車した。停車すると、助手席の大川は、車内から車載マイクで「止まれ」「止まれ」と警告した。パトカーが停車するとすぐに、一台の二輪車(以下「先行二輪車」ともいう。)は急発進し、本件パトカーの前方を通って車道に降り、旧国道を東進し始めた。また、本件事故車が本件パトカーの左後方約一メートルの歩道上に停車していたので、大川が助手席ドアを開け「止まれ」「止まれ」と大声を出しながら降りようとしたところ、本件事故車も急発進して本件パトカーの左後方をすり抜けて車道に降り、旧国道を時速約五〇ないし六〇キロメートルの速度で東進し始めた。

(七) 中新町交差点から本件事故現場まで

二台の二輪車が東方に向け再び逃走を開始したため、本件パトカーは、これら二輪車を停止させるため、直ちに二輪車の追尾を開始した。

本件事故車は、同日午前零時五三分ころ、高松市田町五番地の五先田町信号交差点を対面信号赤色無視で進入し、右交差点を北から南進走行中の自動二輪車と危うく衝突しかけたが、速度を落として回避し東進した。この時、本件パトカーは、右交差点の手前約四〇メートルの地点を走行していた。

高松市立南部駐車場前では、本件パトカーと本件事故車との距離は約五〇メートルあり、また本件事故車の前約三〇メートルのところを先行二輪車が走行していた。本件パトカーの速度は時速約六〇キーメトル程度であり、本件事故車もこれと同じ程度の速度で走行していた。両車とも徐々に加速していた。

旧国道は、中新町交差点付近は片側三車線で合計六車線、前記琴平電鉄長尾線観光通踏切りをすぎたあたりから、高松市多賀町三丁目一八番三四号花園警察官派出所をすぎた御坊川の観光橋までは片側二車線、合計四車線、観光橋から東は高松町付近(新川橋の先五キロメートルほどのところ)まで片側一車線、合計二車線の道路である。観光橋から東側では、香川県公安委員会によって、最高速度を時速四〇キロメートルに規制されていた。

田町交差点から琴平電鉄琴平線踏切りまでの間では、五、六台の一般車両が走行しており、琴平電鉄琴平線踏切りから高松市多賀町一丁目一二番一三号先琴平電鉄長尾線観光通踏切り付近までの間では、一五、六台の一般車両が走行していた。

本件事故車は、片側三車線道路の中央車線を概ね走行していたものの、前記田町交差点から高松市多賀町一丁目一二番一三号先琴平電鉄長尾線観光通踏切り付近までの間では、同じく東進している一五ないし一六台の一般車両の間を縫うようにジグザグに追い越しして走行していた。このため、本件パトカーは本件事故車を追い抜けなかった。

花園警察官派出所から東側では、本件パトカー等の他に東進する車両等は全くなく、西進車線をまれに車両が通行する程度であった。花園警察官派出所付近で、本件パトカーと本件事故車との距離は約三〇メートル、本件パトカーと先行二輪車との距離は約八〇メートルであった。本件パトカー、本件事故車、先行二輪車とも、時速七〇ないし八〇キロメートルで走行していた。

本件事故車は花園警察官派出所付近から徐々に加速を始め、大庭産業株式会社前付近で速度が安定した。そこで、本件パトカーは、右大庭産業株式会社前付近で、本件事故車から約三〇メートルの車間距離を保ったまま約二〇〇メートル進行した。竜満らは、本件パトカーに搭載の速度測定器で本件事故車の速度を計測したところ、本件事故車は、高松市上福岡町七一四番地一玉藻中学校北門東方約三〇メートル付近で、最高速度時速四〇キロメートルを五五キロメートル超過した時速九五キロメートルで走行していた。そのとき、本件パトカーと先行する二輪車とは約八〇メートル離れていた。この辺りから、本件事故車と先行二輪車との間の距離が次第に開くようになった。

本件パトカーは、松島南郵便局付近で、本件事故車の前方に出て本件事故車の停止を試みようとして、時速約一〇〇キロメートル超に加速し、西進車線に一メートルほど車体を乗り入れる形で東進した。この付近は追い越し禁止地帯であった。本件パトカーが徐々に加速を開始する時点で、本件事故車は、時速九五キロメートル程度の速度で、本件パトカーの約三〇メートル前を走行していた。

本件パトカーが、車載のマイクで停止するよう警告を繰り返しながら、イトウ自動車付近で本件事故車の右後ろ約二メートルに接近すると、本件事故車はそれまで東進車線のほぼ中央を走行していたのを、一瞬、本件パトカーの進路上へその進路をわずかに変更してきたので(幅寄せ)、本件パトカーは速度を落とし、また、西進車線を西進する車両の灯が見えたので、本件パトカーは高松国際ホテル前付近で東進車線に戻った。本件パトカーが東進車線に戻ると、本件事故車も東進車線に戻った。本件事故車は時速約八〇キロメートルで東進した。本件パトカーと本件事故車との車間距離は一五メートル程度にひらいた。また、本件パトカーと先行二輪車との車間距離も徐々に少しずつ空いており、前記の地点を超えたところでは一〇〇メートル以上の間隔が空いていた。

竜満と大川は、本件事故車の特徴はナンバープレートも見えず、運転者・同乗者も黒っぽい服装であるほかにこれという特徴を認めることができなかった。なお、竜満及び大川は、走行している道路の地形等は十分熟知していた。

(八) 本件事故現場付近

本件パトカーは、同日午前零時五六分ころ、高松市春日川橋を過ぎ、オリンピック高松営業所前付近からは、前方に道路工事中である旨の標識が見えたので、右側に進路変更し、西進車線の真ん中付近を走行した。この時点でも、本件事故車は、本件パトカーの前方約三〇メートルのところを時速約八〇ないし九〇キロメートルで走行していた。本件事故車は、右工事現場前で一旦時速六〇から七〇キロメートルに減速して西進車線に移って東進し、工事現場が終わると、ホンダクリオ香川株式会社春日店前付近で東進車線に戻り、再び加速して東進した。この時、先行二輪車は本件パトカーの前方約一二〇メートル(工事現場手前で本件パトカーが若干速度を緩めたので車間距離が広がった)、本件事故車は本件パトカーの前方約二〇メートル弱のところを走行していた。

高松市春日町一四八一番地香川日野自動車株式会社付近は見通しのよい直線道路で、また対向車もなかったので、竜満は、同日午前零時五六分ころ、本件パトカーを右地点で加速させ、工事現場が終わっても東進車線に戻らず、西進車線を時速約一〇〇キロメートル超の速度で東進させた。この時、先行二輪車は本件パトカーから視認できる位置にはいたが、その距離は少しずつ離れつつあった。

本件事故車が時速八〇ないし九〇キロメートルで走行していると、本件パトカーは、別紙見取り図NO一七記載の香川トヨタ自動車株式会社屋島営業所南西の14で、本件パトカーが本件事故車の右側三〇ないし五〇センチメートルの間隔で並進する状態になり、さらに、本件パトカーの助手席からは手か棒が出てきて、原告乙山に触りかけ、そして、本件パトカーは三回にわたって、本件事故車に対し幅寄せをした。一郎は、最初の幅寄せに対し、これを避けるように車道左側に本件事故車を寄せ、二度目の幅寄せに対しても、またこれを避けるために車道左側に本件事故車を寄せ、さらに三度目の幅寄せにより本件事故車を左側に寄せた結果、車道左端に追いつめられ、本件事故車を車道左側歩道上の道路標識(別紙見取り図NO一八記載「標識」の印のある道路標識のポール)に衝突させ、自らは同図面記載ロに投げ出され、同人は右現場で頭蓋骨骨折、脳挫傷のためほぼ即死の状態で死亡した。

原告乙山は、本件パトカーの二度目の幅寄せに危険を感じ、左手で一郎の腰を抱え右手で後部座席の体を支えるという姿勢から、一郎の腰辺りを両手で丸抱えして体を固持するという姿勢に体勢をかえ、さらに本件パトカーの三度目の幅寄せがあると、本件事故車と本件パトカーとが接触する危険を感じ、危ないと思ってその頭を伏せたが、以後、意識を喪失し、気がつくと、別紙見取り図NO一八記載イの歩道上に倒れていた。すると、直後に警察官が原告乙山に声をかけてきた。この事故により、原告乙山は開放性左大腿骨骨折、顔面打撲擦過傷、両手・両足擦過傷を負った。

本件パトカーは、別紙見取り図NO一八記載の高松市春日町一七四五番地万納商店東側付近で、西進車線から東進車線に戻った。

なお、別紙見取り図NO一七に「至屋島西町」と書かれた道路は、昭和六三年当時には存在しなかった。

(九) その後の状況

本件パトカーは、時速一〇〇キロメートルを少し超えた程度の速度のまま、新川橋西詰め付近まで走行し、竜満は同所でブレーキを踏んで本件パトカーを減速させた。竜満が新川橋西詰め辺りでブレーキを踏むのとほぼ同じころ、大川が、本件パトカー車内のバックミラーで後方を確認すると、本件事故車の前照灯は既に見えなくなっていた。本件パトカーは、別紙見取り図NO一八記載17の新川橋東詰め交差点内で停止した。

大川は、「後ろから来よる二輪が来よんわ、バックしよう。」と言った。竜満は、大川の言葉に無言で同意し、即ギアをバックギアに入れて、本件パトカーを東進車線上を西方に後退させ、本件事故車の検索を行うことにした。大川、竜満とも後方を見ながら、本件パトカーを、新川橋東詰め交差点内から、太鼓橋である新川橋を通って、高松市春日町一七四五番地万納商店東側(同図面記載18)まで、東進車線で西に後退させた。

すると、同日午前零時五八分ころ、高松市春日町一七四五番地万納商店東側(同図面記載の△)において、本件事故車が転倒しているのを発見し、本件パトカーを停止させ、大川が降車してこれを確認した。また、その西方約三〇メートルの歩道上(同図面記載イ)には原告乙山がしゃがみこんでおり、さらにその西方約二〇メートル(同図面記載ロ)のところには一郎が倒れていることがわかった。同図面に「標識」との表示のある時速四〇キロメートル規制の道路標識が、根元の方で約四五度折れ曲がり、中程からも更に折れ曲がっていた。

大川は、竜満に対し、通信指令室への自損事故の認知の無線連絡と、救急車、事故係の派遣の要請をするよう手配を頼み、竜満はこれらの措置をとって、大川らは救急車、所轄高松北署事故係の到着を待った。大川は、原告乙山らに話し掛けたところ原告乙山はこれに応じたが、一郎からは全く反応がなかった。

大川が、原告乙山に対し、本件事故車を運転していたのは誰かと尋ねると、もう一人の眼鏡をかけた子と答えたが、一郎は眼鏡をしていなかったので、前記ロの付近で眼鏡を捜していると、二〇歳すぎくらいのひとりの男が大川に近づいてきて、大川に対し「俺は見とった。あの標識にぶつかったんだろう。」「なんぼ暴走族やからいうてむちゃに追わえるんがあるか。」と言い、大川がこの男に「知り合いか。」と声をかけると、「いや、知らん。」と答え、さらにこの男は竜満の方へ行き、竜満に対し「むちゃに追わえるんがあるか。」と言った。この男は、その後、すぐスズキオート香川東営業所前(同図面記載×)の西進車線に、前照灯はつけたままで西向きに停車してあった軽四輪自動車に乗り込み、立ち去った。大川及び竜満はこの男の名前や軽四輪自動車のナンバー・車種等を一切確認しなかった。間もなく、救急車、事故係が本件事故現場に到着した。

(一〇) 本件事故現場

本件事故現場の状況は、別紙「交通事故現場図」及び前記見取り図NO一八のとおりである。別紙「交通事故現場図」記載1点に一郎、同ア点に原告乙山、同2点に本件事故車が倒れていた。別紙「交通事故現場図」記載のとおり、本件事故現場には、前記標識の西側から車道縁石に擦過痕が認められるが、スリップ痕は全く認められなかった。前記のとおり、道路標識(四〇キロメートル制限・駐車禁止)が別紙「変形した標識柱の図面」のように北方に曲損し、ポールに黒色タイヤ痕様のものが付着していた。

なお、本件事故現場は見通しの良い道路であり、車両の通行は少ない。本件道路の沿道の歩道右側には車道に接するように多数の道路標識が設置されており、また、車道と歩道との間には高さ二〇センチメートルの縁石が設置されている。

以上のとおり認められる。

2(一) 被告は、大川らは新開警察官派出所付近(別紙見取り図NO一三記載10)で、既に本件事故車を停止させることを断念して先行二輪車に対する共同危険行為の捜査に切り替えており、本件パトカーが、別紙見取り図NO一七記載の香川トヨタ自動車株式会社屋島営業所南西の14で本件事故車を追い抜いた際には、本件事故車と左右約二メートルの間隔をあけていたし、本件事故車と並進していた際も、大川が本件事故車の特徴等を確認するために、助手席の窓を開けて所携の懐中電灯を窓から車外へ四ないし五センチメートル出し、本件事故車のタンク、ボディ等を照らして本件事故車の動静を注視したにすぎない旨主張し、右主張に沿う証人大川及び同竜満の証言が存在する。

(二) しかし、右各証言は採用できない。

(1) まず、新開警察官派出所付近(別紙見取り図NO一三記載10)で先行二輪車に対する本件事故車を停止させることを断念して先行二輪車に対する追尾に切り替えた理由につき、大川は、本件事故車は本件パトカーを前方に出さないという感じを受けたからである旨証言し、竜満は、本件事故車のこれまでの走行状況等からして同車に対し無理に停止を求めるのは危険であると判断したからである旨証言する。

しかし、大川と竜満とは右のようにそれぞれ若干異なった証言をしているし、大川の、本件事故車は本件パトカーを前方に出さないという感じを受けたからであるとの証言は、本件パトカーが先行二輪車を追尾するには、本件パトカーを前方に追い越しさせないように走行している本件事故車をいずれかの地点で追い越ししなければならないことからして納得し難いし、竜満の、それまでの走行状況からして本件事故車に対し無理に停止を求めるのは危険と判断したからである旨の証言も、現実に追い越しを始めた後には本件事故車からの妨害等はなかったという同人の証言と対比すると、合理的なものとはいえない。竜満は、共同危険行為の事後捜査に切り替えることとし、先行二輪車の特徴やその運転者等の確認、同車車体の検査による暴走族のグループ名の確認等を行うこととした旨証言しているけれども、両人らの証言によっても、新開警察官派出所付近では、竜満らは、本件事故車を追尾して後方から確認した結果として、本件事故車の特徴はナンバープレートも見えず、運転者・同乗者も黒っぽい服装であるほかに、未だこれという特徴を認めることができなかったというのであり、その後、追い抜きをする際に、ようやく大川が始めて本件事故車の特徴等を確認するために、所携の懐中電灯で本件事故車のタンク、ボディ等を照らし、本件事故車の動静を注視できた旨証言しているのであり、右証言や、先行二輪車と本件パトカーとの距離が徐々に開きつつあったこと等に徴すると、未だ本件事故車の特徴すら把握していない竜満らが、追尾の対象を先行二輪車に切り替え、同車の特徴等を把握するために、本件事故車の追尾をあきらめて本件事故車を追い越したとは考え難く、竜満の右証言も採用できない。

(2) また、大川は、本件パトカーが本件事故車と並進した際、本件事故車の特徴等を確認するために、助手席の窓を開けて所携の懐中電灯を窓から車外へ四ないし五センチメートル出し、本件事故車のタンク、ボディ等を照らして本件事故車の動静を注視したにすぎない旨証言するが、隣の運転席にいた竜満は、その際、前方を見て運転をしていたので、大川が何をしていたかについては一切分からなかった旨証言し、大川がその際、何をしていたのかについては証言をにごしていることなどに照らすと、この点に関する大川の証言もにわかに採用できない。

(四) その他、本件においては、本件事故が本件事故車の自損事故であると認めるに足る証拠はない。かえって、それまでは東進車線の中央部分を走行していた本件事故車が、本件事故当時の交通状況や本件事故現場付近の見通しの良い直線道路である本件事故現場付近で、にわかに自損事故を起こしたとは考え難いこと、また、本件事故現場の車道縁石には前記標識から西側に約八・七メートル程の擦過痕が認められることや別紙「変形した標識柱の図面」記載のとおりに道路標識が北方に曲損していることなどに照らすと、本件現場付近では、本件事故車は東進車線の中央部分ではなく、同車線の左端付近を走行していたと認められること、本件事故現場にはスリップ痕が全く認められず、本件事故車がブレーキをかけた形跡がないことなどに加えて、前記認定のような本件パトカーの本件現場付近及びその後の走行状況並びに本件事故の目撃者の証言等にかんがみると、本件事故は、本件パトカーの本件事故車に対する三度の幅寄せによって惹起されたものというべきであって、被告の前記主張は採用できない。

二  違法性の有無について

ところで、およそ警察官は、異常な挙動その他周囲の状況から合理的に判断して何らかの犯罪を犯したと疑うに足りる相当の理由のある者を停止させて質問し、また、現行犯人を現認した場合には速やかにその検挙又は逮捕に当たる職責を負うものであるから(警察法二条、六五条、警察官職務執行法二条一項)、右職責を遂行するために被疑者を追跡することはもとよりなしうるところであり、かかる目的のために交通法規等に違反して車両で逃走する者をパトカーで追跡する職務の執行中に、逃走車両の運転者あるいはその同乗車が損害を被ったとしても、原則として違法になるものとはいえず、例外として、右追跡行為が当該職務目的を遂行する上で不必要なものであるか、又はその方法が逃走車両の逃走の態様及び道路交通状況等から予測される相手方又は第三者に対する被害発生の具体的危険性の有無及び内容に照らし不相当である場合に限って違法になるものと解すべきである。

そこで、これを本件についてみるに、前記認定の事実によれば、本件は、一郎らの運転する二輪車が集団を組んで、徳島県から四〇〇CC前後の自動二輪車を二人ないしは三人乗りで約一〇台に分乗し、深夜爆音を高くして香川県に入り、志度町手前の天野峠で発煙筒を焚いてからは、並進あるいはジグザグ運転を繰り返して一般通行車両の通行を妨害し、信号を無視し、高松市内に進入してきたというものであり、このような一郎らの行為は、道路交通法の速度違反、信号無視、共同危険行為等に該当するものであるから、本件パトカーに乗務する警察官は、一郎らを現行犯人として検挙ないし逮捕する必要があったのであり、右警察官らが本件事故車等を追跡する必要があることは明らかであって、右追跡行為は、当該職務目的を遂行する上で不必要なものとはいえず、また、その開始・継続若しくは追跡の方法が不相当なものであるともいえないから、本件パトカーが本件事故車を追尾する行為自体にはなんらの違法もないというべきである。

しかし、本件における三度にも及ぶ幅寄せ行為については、これが追跡の方法として相当かどうか別個の検討が必要であって、本件事故現場は見通しの良い直線道路で車両の通行は少ないとはいえ、旧国道脇の歩道右端部分には車道に接するように多数の道路標識が設置され、また車道部分と歩道部分との間には高さ二〇センチメートルの縁石が設置されていたのであるから、このような車道部分を時速約八〇ないし九〇キロメートルで走行する自動二輪車に対し道路左脇に向けて幅寄せを行うことは、当該自動二輪車をして、道路標識や縁石と衝突あるいは接触・転倒させ、ひいてはその運転者と同乗者に死亡若しくは重大な傷害を負わせる具体的な危険があるものというべきであって、竜満らの右行為は相当性を欠き、違法なものというべきである。

三  故意、過失の有無について

前記認定の事実関係に照らせば、竜満及び大川は、本件パトカーで本件事故車に幅寄せ等を行うことによって、本件事故車が車道左側端付近の道路標識等の工作物に接触又は衝突すること、その結果として、本件事故車が二輪車でありその走行速度からして、本件事故車の運転者らに死亡若しくは重大な傷害が生じることは十分予見できたものというべきであるから、少なくとも同人らには、本件事故について、過失があるものといわざるを得ない。

四  損害額について

1 原告ら

(一) 原告甲野太郎らの損害

(1) 一郎の逸失利益

前記認定の事実に加え、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

ア 一郎は、本件事故当時一七歳の高校二年生であったが、少なくとも高校卒業後の一八歳から六七歳まで就労が可能であった。

一郎は右就労により一八歳から六七歳までの間、収入を得ることができたが、一八歳から六七歳までの就労の間の年令・地位等による昇給を考慮すれば、その間の平均収入年額は、昭和六三年度賃金センサス産業計・企業規模計・高校卒の男子労働者の全年令の平均収入年額を下らない。ところで、昭和六三年度の賃金センサスの産業計・企業規模計・高校卒の男子労働者の全年齢の平均賃金額は金四三四万一四〇〇円である。

イ 一郎の生活費として費やされるものは、多くともその収入の五〇パーセントである。

ウ 中間利息としては、ライプニッツ係数をとると、就労の終期の年令(六七歳)から死亡時の年令(一七歳)までの年数五〇年間に対応する係数一八・二五六から、就労の始期の年齢(一八歳)から死亡時の年令(一七歳)に対応する係数〇・九五二を引いた一七・三〇四となる。

エ よって、一郎の逸失利益は金三七五六万一七九二円となる。

434万1400円×(1-0・5)×17・304=3756万1792円 (2) 一郎の慰謝料

前記認定の諸事実に照らし、死亡慰謝料は金一五〇〇万円と認めるのが相当である。

(3) 葬祭費

前記認定の事実に加え、《証拠略》に照らし、一郎の葬祭費としては金八〇万円と認めるのが相当である。

(二) 原告乙山の損害

(1) 治療費

《証拠略》によれば、原告乙山は、本件事故により開放性左大腿骨骨折、顔面打撲擦過傷、両手・両足擦過傷を負い、昭和六三年一月四日から同月一二日(九日間)までの間、百石病院において入院・治療を受け、治療費一二万四五三〇円を支出していること、同月一三日から同年三月二六日(七三日間)までの間、徳大病院に入院、同年三月二九日から同年八月ころまでの間、徳大病院に通院・治療を受け、治療費五〇万二九三〇円を支出していることが認められる。したがって、治療費の合計は金六二万七四六〇円である。

(2) 転医交通費

前記認定の事実に加え、《証拠略》によれば、原告乙山は高松市にある百石病院から徳島市にある徳大病院に転医し、その際の転医交通費は金二万五〇〇〇円と認められる。

(3) 入院付添費

前記のとおり、原告乙山は本件事故によって八二日間入院し、その間付添いを要したと認められるから、入院付添費は金三二万八〇〇〇円(一日当たり四〇〇〇円)と認めるのが相当である。

(4) 入院雑費

前記認定の事実に加え、《証拠略》によれば、原告乙山は前記入院(八二日間)のほか、平成二年五月二日から同月二九日まで二八日間、金具撤去のため入院していたことが認められるから、原告乙山の入院雑費は金一三万二〇〇〇円(一日当たり一二〇〇円)の限度で認めるのが相当である。

(5) 逸失利益

前記認定の事実に加え、《証拠略》によれば、原告乙山は、昭和六三年一月四日に起きた本件事故当時、高校三年生で一八歳であり(昭和四四年一一月一七日生)、本件事故がなければ、高校を卒業して、昭和六三年四月一日から大阪市内の丙川株式会社に就職することが決まっていたこと、平成二年九月一四日に症状固定し、その間、原告乙山は就労不能であったことがそれぞれ認められる。

したがって、原告乙山は、昭和六三年四月一日から症状固定の平成二年九月一四日までの八九六日間就労し得ず、その間、就労による収入を逸失しているところ、右収入日額は、少なくとも昭和六三年度賃金センサス産業計・企業規模計・高校卒の一八歳の男子労働者の平均年収額金一九七万〇六〇〇円を基準とするのが相当であるから、原告乙山の症状固定までの逸失利益は金四八三万七四一八円と認めるのが相当である。

197万0600円÷365日×896日=483万7418円

(6) 入院慰謝料

前記認定の入院日数等に照らすと、入院慰謝料は金一二〇万円と認めるのが相当である。

(7) 後遺症による逸失利益

ア 前記認定の事実に加え、《証拠略》によれば、原告乙山の後遺症は他覚所見として、左下肢の大腿と下腿の筋萎縮、左膝の屈曲・伸展における筋力低下があり、また、左下肢の膝の運動機能が健康な右下肢に比して四分の一以下に制限されていることが認められる。これは、一下肢の三大関節中の一関節の機能に著しい障害を残すものといえ、労働災害補償法上の後遺傷害等級では一〇級の一〇に該当するものといえるから、かかる後遺症にかんがみれば、原告乙山は本件後遺症によりその労働能力の二七パーセントを生涯にわたって喪失したものというべきである。

イ そして、昭和六三年度の賃金センサスの産業計・企業規模計・高校卒の一八歳の男子労働者の全年令平均賃金は金四三四万一四〇〇円である。

ウ 中間利息としては、ライプニッツ係数をとると、就労の終期の年令(六七歳)から本件事故時の年令(一八歳)までの年数四九年間に対応する係数一八・一六八から、症状の固定した平成二年九月一四日の年令(二〇歳)から本件事故時の年令(一八歳)に対応する係数一・八五九を引いた一六・三〇九となる。

エ よって、原告乙山の本件後遺症による逸失利益は金一九一一万七〇五一円である。

434万1400円×0・27×16・309=1911万7051円

(8) 後遺症による慰謝料

前記認定の後遺症に照らし、後遺症による慰謝料金四五〇万円と認めるのが相当である。

五  過失相殺について

1 一郎について

前記認定のとおり、本件は、一郎らの運転する二輪車が集団を組んで、徳島県から四〇〇CC前後の自動二輪車を二人ないしは三人乗りで約一〇台に分乗し、深夜爆音を高くして香川県に入り、志度町手前の天野峠で発煙筒を焚いてからは、並進あるいはジグザグ運転を繰り返して一般通行車両の通行を妨害し、信号を無視して、高松市内に進入してきたものであり、一郎のみをみても、本件パトカーに追跡された後だけでも、制限速度を時速にして五五キロメートルも上回る速度違反、交差点における徐行義務違反、田町交差点における信号無視、ヘルメット非着用、共同危険行為等に該当する行為を警察官の停止の呼びかけにもかかわらず、これを反復、継続しており、全体として極めて重大な道路交通法違反を犯しており、本件パトカーによる追尾も一郎の右違反行為がその原因であること、一郎は、停止を求める警察官の呼びかけに全く応ぜず、これがために、本件事故車を検挙するため本件パトカーによる三度の幅寄せが行われたこと、一方、一郎においては、停止の呼びかけに応じ、直ちに減速ないしは停止するにつき何ら妨げはなかったのに、検挙を免れるために停止の呼びかけを無視し、また幅寄せに対しても、一回目又は二回目の幅寄せに対して減速する等の措置をとり本件事故を回避することが十分可能であり、かつそうすべきであったのに、減速等の措置をとらずひたすら高速で逃走を続けたこと、本件事故の結果については、本件事故当時、一郎が本件事故車を時速八〇ないし九〇キロメートルで走行させていたという事情が大きく影響していると認められること、本件パトカーからの三度の幅寄せに対する回避措置については、一郎の二輪車運転技術の未熟さも影響していたと窺われなくもないこと、また頭蓋骨骨折、脳挫傷による死亡という結果については、一郎のヘルメット非着用の事情もそれなりに影響していると認められることなど諸般の事情を併せ考慮すれば、一郎が受けるべき非難、落度は重大であるというべきであって、本件賠償額の算定にあたっては、一郎の過失を大幅に考慮すべきであり、一郎の損害に九割の過失相殺をするのが相当である。

2 原告乙山について

原告乙山については、前記認定のとおり、本件事故当日、自らが二輪車を運転していた事情は認められず、また一郎とは当日始めて面識を得たにすぎず、一郎との間に身分上ないしは生活関係上の一体関係も認めることはできない。その他、原告乙山につき、一郎の道路交通法違反事実につき、積極的に教唆、幇助等した事情も窺われない。

しかしながら、原告乙山は、本件事故当日、暴走行為に及ぶことを知ってこれに参加し、本件事故車等に乗車していたものである上、本件事故の結果については、本件事故当時、一郎が本件事故車を時速八〇ないし九〇キロメートルで走行させていたという事情が大きく影響していると認められるところ、原告乙山は、一郎の運転する本件事故車に乗車していて一郎の右運転を制止した形跡は全くなく、前記認定のとおり、原告乙山は自らも自動二輪車の運転免許証を有し、一郎の二輪車運転技術の未熟さにも気付いていながら、本件二輪車に乗車し続け、途中の志満秀中新店前の歩道上で一郎が本件事故車をいったん停車させた際には、本件事故車に同乗することをやめることができたのに、なお一郎とともに逃走を図っていることなどの事情にかんがみれば、本件賠償額の算定にあたっては、原告乙山の右過失を考慮し、原告乙山の損害に七割の過失相殺をするのが相当である。

3 右過失相殺後の損害額は、原告甲野太郎につき金二七〇万八〇九〇円、原告甲野花子につき金二六二万八〇九〇円、原告乙山につき金九二三万〇〇七八円となる。

原告甲野太郎{(3756万1792円+1500万0000円)÷2+80万0000円)}×0・1=270万8090円

原告甲野花子{(3756万1792円+1500万0000円)÷2×0・1=262万8090円

原告乙山(62万7460円+2万5000円+32万8000円+13万2000円+483万7418円+120万0000円+1911万7051円+450万0000円)×0・3=923万0078円

六  損益相殺について

弁論の全趣旨によれば、原告乙山は、徳島市から高額医療補償として金二五万円を支給されていることが認められ、右補償は治療費に填補されるものと解される。前項の乙山の損害額から右金額を控除すると金八九八万〇〇七八円となる。

七  弁護士費用について

原告らが本件訴訟を弁護士に委任したことは明らかである。本件事案の難易、審理経過、本訴認容額等にかんがみ、本件事故と相当因果関係を有するものとして、被告に対し請求しうべき弁護士費用の額は、原告甲野太郎につき金二七万円、同甲野花子につき各金二六万円、原告乙山につき金八〇万円と認めるのが相当である。

第五  結論

以上のとおりであるから、原告らの各請求は、原告甲野太郎につき金二九七万八〇九〇円、原告甲野花子につき金二八八万八〇九〇円、原告乙山につき金九七八万〇〇七八円の限度で認容すべきものである。

(裁判長裁判官 朴木俊彦 裁判官 近藤寿邦)

裁判官 三浦隆志は、転補のため、署名捺印することができない。

(裁判長裁判官 朴木俊彦)

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